祖母の事、手毬の思い出


これなんだかわかりますか?御殿まりって言います。



おがくずやもみ殻を芯にして和紙やちり紙でくるみ、そこに糸を巻いて丸い形を作るんです。
私がやっと物心がついたころ、曾祖母が良く糸を巻いて作っていたのを覚えています。


でも曾祖母の元に手毬がたくさんあったわけじゃないので、あれは多分内職でやっていたんでしょうね。
曾祖母はとても器用で何をするにも手の早い、ちゃきちゃきした働き者な人だったそうですから、御殿まりを作るのなんてお手の物だったんでしょう。

糸をくるくる巻いていってどんどん綺麗な柄が出てくるのがとっても不思議で曾祖母の手元をずっと見ていたのを覚えています。



私が大人になって結婚して実家を出て、しばらくすると今度は祖母が御殿まりを作るようになりました。
今度は内職じゃなく趣味として地域の婦人サークルで御殿まりを作るサークルに参加して。
いわゆるおかんアート?
今でもサークルは存在しているようですが母の友人もされてるみたいで根強い人気のある手芸なんですね。

リリアン糸を使って作るので材料費も安くすみますし、糸を巻き付けて行くと徐々に模様が浮かび上がるのはホントに楽しいし。


何年かして夫の転勤で実家のある名古屋に戻った時祖母は病んでましたが、まだ目も手も頭もしっかりしていて手毬を作っていました。

実は事情があって母と祖母は血の繋がりがないんです。
年もそんなに離れてなかったことや、なんかかんやあって、
なさぬ仲の年の近い義理の母と娘だった祖母と母は諍いこそありませんでしたが、そんなに仲が良いとは言えない、
何となくよそよそしい親子関係でした。

祖母は子供を産んだことがなかったのですが、血の繋がりのない孫の私(当時はそんなこと知りませんでしたが)のことをそれはそれは可愛がってくれました。
私は祖母に怒られたことって一度もありませんでしたし、いつでも私のことを誉めてくれて、全面的に私のことを肯定してくれる祖母でした。



私は本当に祖母が大好きでした。
祖母の無条件の愛は全くゆるぎなく存在していて不安定な家庭状況で友達も少なかった少女時代の私をしっかりと支えてくれました。

祖母は和裁も花嫁衣装が縫えるくらい上手で私の七五三の着物や最初の本裁(ほんだち)の着物も祖母が縫ってくれたものでした。



丁度私が名古屋に戻った頃は娘と息子が幼稚園に入っていたので、私は祖母の病院に良く通いました。
祖母は病院のベッドでも手毬を作っていました。

「裕子もやってみるかい?」祖母が言いました。
「うん教えて!昔からやってみたかったの!」
祖母と御殿まりを作っていると私は小さな子供の頃に戻ったように、わがままになって、ちょっと面倒なところは全部祖母にやって貰って、いいとこどりで作ってる気分になってるだけでしたが祖母はいつもニコニコしてました。

孫の私と手毬を作れるのが本当に嬉しそうだったんです。



何度目かの時小さなミニチュアの手毬直径3センチにも満たない位のものを作ることになりました。
小さくてもちゃんともみ殻を紙で巻いて、仕付け糸をくるくる巻き付けて丸い形を作り、8等分に割り付けして〜
全部本式の作り方です。

紐を付けて子供が幼稚園バッグのマスコットに付けたり、キーホルダーや携帯ストラップに出来るように仕上げるのは私の仕事。

娘たちの幼稚園のバザーに出す手作り品が必要だったので材料費が安くて済む手毬は持ってこいだと思ったんでしょうね。
どのくらいの日数が掛かったのか?良く覚えていませんが祖母と私で10個以上作って幼稚園のバザーに出したら飛ぶように売れて午前中で完売!

子供達でも買えるように。と一個100円で売ったので、今思うと祖母の手間を考えたら安過ぎですが、当時は祖母もとっても喜んでくれました。



幼稚園のママ友さんの中に着物好きな方らいらして「簪や根付にしたい!」とおっしゃって、そのママ友さんもとても器用な方だったので一緒にいろいろ工夫して簪に仕上げたりもしました。

調子に乗ってフリマにも今度は300円で出したら全部は売れなくて、
「やっぱりハンドメイドのものを売るって難しいな」と思ったんですが、祖母には
「今度も全部売れたのよ。みんな喜んで買っていかれて嬉しかったわ♪」なんて嘘をついた私。

祖母はいつものようにニコニコしていました。




その頃から祖母はだんだん弱ってきて手毬を作ることも出来なくなり
その数年後に亡くなりました。

売れ残ったミニチュアの手毬は何処に行ったのか?実家の建て替えがあったり、私も今度は夫が東京に転勤になったたりで、わからなくなっていたのですが、最近終活で片付け物をしていた母が整理ダンスの隅から手毬を見つけてくれて

「きっと裕子は喜ぶだろうと思って」と言って私のところに送ってくれたんです。
和紙で包んで桐のタンスの中に入っていたので変色もしてなくて綺麗に保存されていました。



私はそれを使って、簪を作ってみました。
祖母は着物も好きでしたから、きっと喜んでくれるだろうって思ったので。

元々100円で売っていたものだし、喜んで下さる方がいらっしゃればお安くお分けしよう。
きっと祖母も喜んでくれる。
初めはそう思っていたんですけど、なんでかなー。
やっぱり自分の手元に残しておきたいって気持ちが出てきて、私そんなにケチじゃなかった筈なのにおかしいな?



どうしたら良いのか?何だかわからなくなってきました。

祖母はきっと「裕子の思う通りにしたらいいよ。裕子は賢い子だから」
って昔みたいに言うとは思うんですけど。