おくりびと 

前半プチネタバレ
本日某所にて無料上映会があって「おくりびと」観て参りました。
去年、ウチから徒歩5分の映画館でやってる時観に行くつもりだったんだけど、忙しくて観そびれてしまったので、ラッキー!
映画館だとかなり混んでるらしいですね。この映画会はアカデミー賞の前に決まっていたのですが、多分今はフィルム借りるのも大変なんじゃないのかしら。
多数の学生さんと一緒だったのでうるさかったらどうしよう?ってのがちと心配だったんだけど、始まるまではかなりザワザワしてたのが映画が始まったら静かになったので良かった。(アタシのすぐ後ろで始まってもちょっと喋ってた男の子は隣の席の子に「お前ウザイ」って言われて静かになりました)

山崎努は昔から凄く好きなんだけど、最初の場面で遺体を探る手つきはちょっとやり過ぎな気がした。笑わせたいシーンだってことはわかるけどさ・・・。モッくんはモッくんで、予想以上でも以下でもなく。峰岸徹はナイスキャストだったよね。
エンターテーメントとして普通に面白い映画にはなってたと思う。広末涼子は可愛かったし、アタシは良かったと思ったけどな。


以下ネタバレ大の為これから見る予定の方は止めた方が良いかも。

主人公は納棺師って仕事を選んだことで妻の反対や友人や葬儀の出席者からのひどい侮蔑を受けることになるんだけど、そこまで忌み嫌われる職業なのか?ってのが自分の感覚ではも1つ良く分からなくて、以前葬儀会館の向かいに住んでた事があってそこでバイトしようとしたこともあるアタシ(時間等の条件が合わなくて断念したのですが)去年の義父の葬儀の時、納棺をしてくれたのは葬儀屋さんの女性スタッフだったし、誰もがやりたい仕事ではないだろうけど、そこまで差別を受ける職業なんだってことにまず衝撃を受けた。妻や友人は実際の場面に接する事で理解してくれるんだけど、結局差別ってのは(職業に限らず)無理解が原因なんだってそれだけ?アタシの読みが足りないの?そこがちょっと浅く感じてしまったかも。
モッくんが美しい所作で納棺を行う描写は見応えがあるし、人の死の尊厳を守る大事な仕事なんだってことは伝わってくるけれど、だからこそ、このようなセンセーションなテーマを映画の題材に選ぶ事、そしてその作品を観ようとすることの中にどこか「興味本位の覗き見」的な意識はないのだろうか?と自問自答。

妻が言う「穢らわしい」ってことばも、もっと掘り下げれば古来日本人が持っていた「ケガレ」という意識とそしてその根本にあるの「畏れ」(not恐れ)ってことに到達すると思うんだけど、そーゆー意味でこの映画では人間が本能的にもつ「死への畏れ」が殆ど描写されていなくて、そこが勿体無いなー。って思ったり。