訃報

植木等さんが亡くなりましたね。
アタシはシャボン玉ホリデーが始まった年に生まれたので物心付いた頃からクレイジーキャッツ好きでした。
そいでもって中学くらいから小林信彦にはまったのでその影響でますますクレイジー熱は高まるばかり。
以前ナンシー関が雑誌「月光」*1(またまた我ながらマニアックな)で喜劇特集(表紙は植木等)をやった時、自分の年代(彼女はアタシより1歳下)でクレイジー好きって単に「自分がいかに大人っぽかったか、マセていたか」を誇示したいだけではないか。普通はどうしたってドリフだろう。クレイジー派は後づけだろう。とか答えてて、非常に痛いトコついてくるなあ(笑)と。
しかし本当にアタシはドリフにはほとんど興味なかったので学校でも浮いてたんだよね。そいで2〜3歳くらいからシャボン玉ホリデーはかなり好きだったのは親も言ってるから本当もことで。そいでもってそのシャボン玉ホリデーがあんまり面白くなくなったなあ。と思って見ないようになってたらば番組が終わったんだよね。コレははっきり覚えてるから間違いないです。ちょうど小学校の高学年くらいでああやっぱりと思ったもの。(しかし我ながらイヤーなマセガキぶりだわ)アタシより数年年下でこの番組の印象が薄い人は番組の勢いがなくなった後期しか見てないのではないかしら?確かにこの頃はドリフが大人気だったけどアタシはコント55号が好きだった。ちなみにシャボン玉が61年〜72年、全員集合は69年スタート、55号の全盛期は68〜69年くらい。結局コント55号はそれぞれが単体で活躍したから寿命が長く感じるけどコントコンビとしての寿命は短かったのよね。
こういう自分のマニアックなところってけして自慢したいわけじゃなく、ずっとそれで集団から浮いてたからある意味トラウマにもなってて、それを自分の中で消化する為には「好きなものは好きなんだからしょうがない」って開き直りしかなかったわけですよ。

いやいや植木さんの訃報から結局自分語りになってしまう暑苦しい自分。

小林信彦は彼としては非常に珍しく毎日新聞の訃報コメントに答えたり、29日の朝日新聞にも追悼記事を書いてますね。
小林信彦が再三言ってた、舞台が最上、次がTVのバラエティで一番ダメなのが映画。立ってるだけでおかしい植木の良さが映画では伝わらない。ってまた書いてるんだけど、舞台の植木等と言えば晩年期に入ってからのミュージカル出演も触れる人は少ないけどイイ仕事だったよなあ。
http://d.hatena.ne.jp/yukodokidoki/20030414#p1
以前の日記にも書いてますがエニシングゴーズやシカゴの植木等は非常に素晴らしかったです!
生で見れてこの年代に生まれてて良かったと思える人のひとりだよねやっぱ。
宮本亜門

僕が89年に初めて大劇場を演出したミュージカル「エニシング・ゴーズ」に出てもらいました。駆け出しの僕の言うことをすべて聞いてくれました。あのベテランの大スターが毎日けいこ場に2時間早く来て、若いダンサーに交じって自主的にけいこをしていた。舞台上では何の努力もしていないように振る舞いながら、裏では身を粉にしている。これがショービジネスの精神だと教えられました。

を読んでこの舞台観てそんな努力を微塵も感じさせなかったよなあ。てことを思い出した。
多分この舞台は彼にとっても本格的舞台版ミュージカルへの初挑戦だったと思うのだけど、すでに60歳を過ぎてたわけで、そんな年になっても新しいことに挑戦して、その上素晴らしい結果を出してるってホントすごいかっこいいぞ。
Wikipedia植木等の項目に舞台のことへの言及が一言もないのってどうかと・・・。
最後の仕事が舞妓Haaaan!!!ですか。しんみりせずに楽しく観たいですね。

2年前の正月番組でネプチューンの「勉強させていただきます」って番組に青島、植木、谷啓が3人ゲストで出ていてあれが公的なところでの最後のスリーショットなんだろうな。録画消さなきゃ良かった。どっかに残ってないかしら。

*1:OUTの編集長だった南原四郎氏の南原企画で出してるカルト雑誌。今HPでバックナンバー300円セールやってるみたいよ。http://www.k4.dion.ne.jp/~gekko/bn.html南原さんのブログhttp://blog.goo.ne.jp/dotti5でも植木等が亡くなったこと書かれてたし。やっぱり〜て感じ