普通=生きるということ。

19歳の大学生とその恋人の女子高生の事件。

我が子に殺されてしまった男の子のお母さんと実行には移されてなかった女の子のお母さん。アタシはどうしても彼らの親の立場で考えてしまう。
街頭インタビューで同じ年頃の女の子が「気持ちはわからないでもない」と答えていたけど、殺してしまうところまでいかなくても、ウザイとかいなくなればいいのに。って気持ちを親に対して持つことは特に不思議なことじゃなく普通に良くあることで、アタシ自身にもあったことだし、自分の子もいつかそんな感情を持つことがあっても不思議じゃないと思う。
だけど普通は何かが抑止力になってそこまでは至らないものなんだけど、今回それを踏み越えてしまったのは何があったからなのだろう?それとも何かが足りなかったせいなのか・・・。
こういう事件があるとすぐに親の育て方が悪いとかなんとか言われることが多いけど、それって本当に親のせいなのかな。
若い頃自分が子供を産むなんて夢にも思っていなくて、自分が育てた子がそんなつもりはなくても育て方を間違えて犯罪を犯してしまったらどうしよう?とか。自分の行動にすら自信が持てないのにまして子供の責任を負うことなんて到底出来るわけがない。自分が親になるなんてそんな恐いことは絶対ありえない。
そんな風にずっと思っていた。今でも子供に対して自信を持って責任ある行動を示せているのか全然自信のないままのダメ親なんだけど・・・。
でもアタシの場合は子供が反対に勇気をくれたっていうか、ご都合主義で自分の快楽優先だったり、気分で子供を怒ったり、こんなダメな母でも子供は無条件で母親を愛してくれるんだよね。幼い子供はみんなお母さんが大好き。それこそ、虐待をするような母でも許して愛することが出来る。親の愛を無償の愛と言うことは多いけど実は子供の方がずっと無償の愛を沢山持ってると思う。

でもみんな子供のままではいられないから成長の過程で親に憎しみや嫌悪を持つようになることもあるわけで、それでも更に成長すれば又違った目で親を見ることが出来るようになると思うんだけどね。

でも若い頃はその時その時の自分で精一杯だからそれ以上のことがいっぱいいっぱいで入れられなくなってしまうんだろうけど。


実は今日は木更津キャッツアイ日本シリーズを見に渋谷に行って来たんだけど、この映画(っていうか元のドラマもそうなんだけど)主人公が病気で死んでしまうことは決まっていて、当然クドカン(なんでもこの映画の脚本は現時点での彼の最高傑作と他ならぬ本人が言っているので是非見るべし)だから笑えて楽しくて、尚且つマニアックなんだけど。クドカン自身も彼の作品を好きな人もどっちかと言えば世の中では異端扱いされる方の分野の人で、生きてるのってしんどいとか思ったことも2度や3度はあるのがほとんどなんじゃないかと思うんだけど、普通に生きるのが実は大事なんだってことをじんわりと考えた。そんなあったかいものを貰えた。作り物の話で、ふざけたことばかりみたいでも。フィクションとかノンフィクションとか関係なくて嘘の中にも真実はあるんだよね。勿論その逆もあるんだけど。

キャッツのネタバレバレな楽しい感想も書きたいんだけど、そっちは明日あたりにひみつ日記で・・・。
ひみつ日記とは
id:nobody:20030519さんのひみつ日記の作り方を参考にしたもので、まだアタシは一度も書いたことないのだけど。