コクーン歌舞伎初体験

桟敷席の一番後ろだったのだけど、私たちの座ってたすぐ後ろの通路が花道で使われて
ほんの1〜2メートルの距離で役者達を観られてラッキー!
初めてのコクーン歌舞伎はともかく楽しくて素敵素敵!
ラストは観客総立ちのスタンディングオベーションで。
ある部分はドリフ風味だったり(笑
意表をつく演出が多数だけど驚かす為だけじゃなくちゃんと芝居になってたと思う。
見得を切った勘九郎の顔はまるで役者絵から抜け出してきたようで魅入ってしまう。小さな勘九郎の体が大きく見えるのは芸の力だよなあ。
橋之助は役者として脂が乗ってきた感があり、色気が出てきてうっとり。
昔はただ綺麗なだけで線も細くて〜だったけど。
笹野高史はずっと自由劇場が好きだったアタシにはなじみの役者さん
上海バンスキングのバクマツ役だとか懐かしい)あくの強い勘九郎と2人でくんずほつれつの泥場は名演。
七之助くんは綺麗で可愛かったけど色気はまだまだ〜まあ19歳だからこれからか。
獅童くんは結構笑わせてくれて(破綻でじゃなく役で)いかにもな甘ちゃんの若様ぶりが中々。
上質な大衆の娯楽を満喫した。
夏祭はストーリーのみ知っていてもっと陰惨な話と思っていたのだけど
エンターテイメントだった。
考えてみたら元々が実話を元にした際物だから、ワイドショーの再現フィルムのノリって考えたらいいんだよな。

歌舞伎の本来の姿は芸術なんかじゃなくてもっと猥雑で荒唐無稽でアバンギャルドなものだったと思うんだけど、(むしろがけの芝居小屋で河原乞食と呼ばれて規制され続ける側)それをまんまやってる感じ。

いつのまにか肩の凝る伝統芸能になってしまった歌舞伎に穴を開ける痛快さ。

やり過ぎって言われがちな勘九郎だけど、トコトン客を楽しませようとする姿をアタシは評価するね。
全盛期の頃の藤山寛美の舞台を観たことがあるけど、同じようなパワー&オーラを感じた。
その娘で間違いなく父の血を濃く受け継いでる天才舞台女優藤山直美(あの大竹しのぶに「直美さんの『おっかけ』です」と言わしめるほど)と勘九郎は何度も共演してるけど是非一度観なくては((とりあえず勘九郎藤山直美をレイプするので話題になった阪本順治監督の「顔」のビデオでも今度借りてこよう))

少なくともあの場所にいたお客さんはチケット代分かそれ以上に楽しんでた人達がほとんどだったはず。
初対面の近くの席の人たちで「来て良かった!面白かった!」と感想を口々に言い合えるようなエキサイティングな時間を過ごしたんだもの。

歌舞伎の底辺を広げるとかコクーン歌舞伎が歌舞伎の入門となって本当の歌舞伎を知るきっかけになれば的意見を良く聞くけどそれって違うんじゃないかと思う。
そんな風に思うのは役者や演出家スタッフに失礼じゃない?
その日やってきた客を喜ばせることでしょう。一番大切なのは。

りっぱなお芸術に祭り上げられている「歌舞伎」があって、それを優しく噛み砕いたものや今風にとっつきやすくしたのが「コクーン歌舞伎」なんて評価は絶対違うと思うよ。

アタシは子供の頃から歌舞伎好きだし、様式美や伝統を否定するわけじゃないけど。

どちらも芝居でしょ。お金払って足を向けたお客を喜ばせられればそれで勝ちじゃん。